行旅死亡人の官報の記事と現地の写真を掲載する写真集。見開きの片方のページに官報の記事、もう片方のページに現地のモノクローム写真が掲載されている。ときには見開きで官報や写真が大きく載っている。
まず「行旅病人及行旅死亡人取扱法」が施行された明治32年3月28日の官報から本書はスタートする。そして、1899年から2020年までの1年につき1件、行旅死亡人の官報の記事と写真が続く。
写真はどこにでもあるような道端、駐車場、川沿いなど、日常的に目にする場所だ。その写真も官報の行旅死亡人欄とモノクロームが合わさると、不思議ともの悲しさや不気味さを感じさせる。日常、なんともない場所に潜む「死」。「死」もまた日常なんだろう。
行旅死亡人とは
いわゆる行き倒れた人。身元が不明で引き取り元のない死者の法律上の呼称で、官報に死亡場所や特徴などが公告される。行旅病人及行旅死亡人取扱法に基づいて処理される。法律は明治時代に制定されたものなので漢字とカタカナで読みづらい。
第一条 此ノ法律ニ於テ行旅病人ト称スルハ歩行ニ堪ヘサル行旅中ノ病人ニシテ療養ノ途ヲ有セス且救護者ナキ者ヲ謂ヒ行旅死亡人ト称スルハ行旅中死亡シ引取者ナキ者ヲ謂フ
行旅病人及行旅死亡人取扱法
住所、居所若ハ氏名知レス且引取者ナキ死亡人ハ行旅死亡人ト看做ス
前二項ノ外行旅病人及行旅死亡人ニ準スヘキ者ハ政令ヲ以テ之ヲ定ム
行旅病人から救護されるも死亡して、行旅死亡人として官報に掲載されている人もいる。
官報を見てみると、さまざまな人生を死を感じさせる記述がある。縊死、轢死、溺死が多い。他には、抱き合って発見される心中したと思われる人たち、辞世の句を残す人、新聞に出すなら左記二文字を大きく書くようにと遺書に身を案じる人へのメッセージを残す人、遺書に詫びを書く人、留置場での自殺など。
珍しい例ではミイラ化していたり、犬小屋内で発見された新生児の記事もあった。平成に入ると白骨化で発見されるという記述がよく見られる。地中で座位状で発見され死後数百年の明らかに即身仏の遺体の記述もあった。
身体的特徴で目についたものでは、明治、大正時代は「歯ナシ」がよく見られ、珍しい例では「左小指ノ第二関節ヨリ切断」「人相ハ腐敗セルヲ以テ認識シ難シ」「天然痘ノ痕ヲ存ス」などの記述が見られる。昭和に入ってからは「由紀子命」の刺青がある人も。
所持金は少ないか所持していない場合が多いが、平成に入ると現金900万円と通帳(預金70万円)を所持していた60代女性、所持金45万円の60代女性などの記載が見られる。
出生からの経歴が詳しく書かれているが単身者で親族不詳のために掲載されている人もいる。
埋葬方法
基本的に埋葬する場合は火葬にされるが、古い記事を見ると土葬という表現も見られる。ただ「埋葬」したと表現することもあれば「火葬」したと表現する自治体もある。仮埋葬されるケースもあった。
また、医学への活用なども見られ、東京医科大学へ提供された人、慈恵医科大学へ交付された人、群馬大学医学部へ送致された人、東京大学医学部付属病院内のアイスストッカー内に遺棄されて医学研究用に東京大学医学部に交付された遺胎など。官報の「交付」や「提供」「送致」などの無味乾燥な表現がまたなんとも言い難い。
表現と印刷技術の変遷
日本語として明治から昭和初期の記事は漢字とカタカナで綴られているので、現代人としては読みづらい。明治の記事には、メリンスやフランネルなどのカタカナ用語が鉤括弧で括られている。漢字とカタカナ表記が昭和21年まで続く。印刷技術の変遷も見られ、やはり昔の記事は文字が潰れて判別が難しいところもある。昭和31年辺りからかなり読みやすくなる。平成2年から縦書きから横書きに変わっているのも特徴的だ。
そして、昔の記事は表現が酷いときがある。昭和17年の「眼光畜獣ノ其レニ似テ人間ノ感ナク」という表現。もっと言い方はなかったのだろうか。しかもこの人、生きていて行旅病人として保護されたのちに病死している。変死を発見されたわけではないのだ。
昭和初期ごろまでは、現代では差別用語となる「乞食」という表現はよく出てくる。また「バタ屋」という表現も出てくる。調べてみたらカゴやリアカーを引いて紙屑や新聞などを集める仕事をしている人を指していて、これも現代では差別表現とされる。
最後のほぼ必ず「心当たりあるものは申し出られたし」との表現も虚しさを強調させてくれる。
時代を感じる官報の記載
明治時代の官報には「行旅死亡人」の隣に「華族世襲財産」という欄が見られ、時代を感じさせる。華族がいた時代なんだと。華族制度があった時代なんだと。「兌換銀行券発行週報」という欄も出てきたりする。
そんな昔から国からの機関紙としての官報があったということ、そして行旅死亡人欄があり、行き倒れた人を公表し、遺体の引き取り手を探す制度があったということも、日本は国の制度として意外にちゃんとしていたんだなと感じさせてくれる。
おわりに
現場の写真があることで、普段はあまり目にすることがない官報の行旅死亡人欄を浮き立たせてくれる。無機質な文章とモノクロームの写真が合わさって、奇妙な雰囲気を出している。
官報の行旅死亡人欄を見て写真撮影に行く。それはまたひとつの聖地巡礼のようなものなのかもしれない。
実は前作の『アノニマスケイプ こんにちは二十世紀』も所有している。こちらは1901年から2000年までの行旅死亡人の公告と写真が掲載されている。内容はまったく異なる。今作は何部刷られているかわからないが、前作は初版第1刷100部、第2刷100部、2版第1刷1,000部となっており、この世に1,200部しかない。今作も貴重なものになる可能性があるので、気になるなら早めにお求めになることをおすすめしたい。