何気ない日常でも撮影しておく。やがて、それが思い出となって心の支えになる。
昔はフィルムカメラしかなかった。フィルムでは撮影できる枚数が12枚とか24枚などと決まっており、お金もかかるため、ここぞというときにしか写真撮影はできない。
でも、デジカメが登場してから気軽に撮影できるようになった。メモリーの容量に入る分なら何枚でも撮っていい。いらなくなったり、失敗したら気軽に削除して撮り直しができる。
誰でも持っている携帯電話、スマートフォンの写真の美しさはコンパクトデジカメを凌駕しつつある。
そんな恵まれた時代だからこそ、何気ない日常でも撮影して記録をしていこう。食べ物の写真、家族や友達の写真、そのとき心に残った風景、なんでもいい。
思い出は記憶に残って懐かしむことができるけど、記録に残すと思いを分かち合うことができる。特に家族の写真なんかは、不幸にも亡くなったあと、残された家族にとって故人を思う大切な記録となる。
母が亡くなり、間もなく半年が経とうとする。ぼくがむかし、何気なくデジカメで撮影した動画に残っていたわずか数秒の声を聞いて思いにふける父、祖母の法事のときに撮影した写真を見ながら母を語る親戚、母の写真を見るたびに涙する母の友人。
撮影したときはなんも意味も持たない、ただそのときを撮影したそれだけのものでも、のちに大きな価値となってくる。それは自分にとってかもしれないけど、自分と近しい人にとっても同じなのだ。
別にSNSにアップする必要はない。記録に残すだけでいい。日常を記録しよう。
母のiPadに残された写真。祖母の葬儀のときに撮影された自分の痩せている全盛期の姿を見て、改めてダイエットを決意する今日この頃。