碓氷峠アプトの道で熊ノ平駅まで歩いてみた

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碓氷第三橋梁

碓氷峠にあるアプトの道は、かつてアプト式による列車の運転が行われていた場所である。信越本線の横川から軽井沢までを通っていた鉄道は、現在では北陸新幹線の高崎長野間の開通にともない廃線となっている。

線路の中央に敷かれたラックレールと機関車の歯車を噛み合わせて急勾配を克服するラック式鉄道の中のアプト式を採用された碓氷線(信越本線の横川軽井沢間の通称)は、1893年に開通した路線だ。最大66.7‰(パーミル)という急勾配に対応するために、ドイツの山岳鉄道で実用化されていたアプト式が採用された。

その後、高度経済成長によってアプト式鉄道では輸送力不足となり、1963年に粘着式の新線が開通してからアプト式のほうは廃止された。アプト式のときに使われていた通称めがね橋こと碓氷第三橋梁や丸山変電所、トンネル群が重要文化財に指定されたのが1993年。粘着式の新線のほうも国鉄が民営化されてJR東日本に引き継がれたあとに新幹線の開通によって1997年に廃止となった。

そんなアプトの道を練り歩きたいと思う。横川駅は東京駅からだと上越新幹線のときを使って高崎まで行き、高崎から信越本線に乗って終点が横川である。横川駅は関東の駅百選にも選ばれている。また、碓氷鉄道文化むらの最寄駅でもあり、駅の出入口に公式キャラクターの絵が出迎えてくれる。外に出るとEF63の動輪が展示されている。EF63といえば、粘着式に移ったときに活躍した機関車である。

まず立ち寄ったのは碓氷関所跡である。安中市のアプトの道のおすすめな経路になっていたので立ち寄ってみることにした。当時使用されていた柱や門、屋根材や台石は当時のものを使って東京大学教授の藤島亥治郎によって復元されたようだ。

関所跡の先を進んでいくとアプトの道に向かうための入口が見えてくる。入口付近には以前使われていた特急あさまの上野行きの表示が出ている車両とEF63が停車している場所に出てくる。EF63はどうやら碓氷鉄道文化むらで講習と試験を経て乗車体験が行われているようで、乗車回数に応じて腕章をもらえたりするようだ。

アプトの道はアプト式鉄道の跡地を遊歩道化しているため、地面にはレールの跡がある。ラックレールはないようだけど、車輪が走っていたレールは残されたままとなっている。歩いていると下に写る影の線に気がついて、見上げてみて、ああ、架線もそのまま残されているのかと気づいた。

途中、巨大な現代建築物である碓氷橋に差し掛かる。柱が万年筆のイリジウムを接合する前のペン先のような印象を受ける。万年筆は一時期、モレスキンの手帳と一緒に持ち歩いていたりしたけど、高級な万年筆はあれど、何気に安いパイロットのカクノが使いやすかった。

モンベルの熊鈴とホイッスル

ところどころに熊注意や猿注意の看板がある。今回、事前に熊が出るという情報があったので、前日に京橋のモンベルでトレッキングベルとアルミホイッスルを入手しておいた。ベルは時折鳴らしながら歩いていく。途中、アプトの道の脇の新線のほうの架線を猿が歩いていた。

碓氷橋を抜けて先に進んでいくと煉瓦造りの建造物が見えてくる。丸山変電所だ。ここは碓氷線が電化されてから粘着式に移るまでのあいだ、機関車に電力を送り続けていた。熊ノ平側の機械室と横川側の蓄電池室からなる建造物だ。機械室にある回転変流機と変圧器を経て蓄電池室にある312個の蓄電池室に送電されていた。

建物の裏手に回るとだいぶ自然が侵食してきていて、いい感じの廃墟感を演出している。ちなみにこの建造物もアプトの道にある他のトンネルや橋梁などと同じように国の重要文化財に指定されている。

さらに進んでいくと道となっている線路跡にも草が多い茂り始めている。自然の侵食は強いようで止めるのは難しいようだ。自然の侵食というと、こことは関係ないけど、鳥取砂丘も放っておくと緑化してしまうのでボランティアで除草しているそうだ。

途中、峠の湯という施設で休憩ができる。行くまではどんな施設か分からなかったので、山の中にある秘境の湯のような、簡易的な湯があるのかなと思っていたけど、普通に街中にあるようなきれいで大きなスーパー銭湯だった。

着替えを持ってきていないので湯には入らなかったけど、施設内で飲み物を購入して一息ついてから出発。次来る時は着替えを持ってきていたらひとっ風呂入ってと洒落込んでみたいものだ。一度脱いだ汗ばんだ下着をまた着たくない派なので、今回は風呂には入らずに飲み物の購入だけで先に進むことにした。

峠の湯から先はトンネルが続いている。熊ノ平駅までは10号トンネルまであり、5号トンネルを抜けるとめがね橋で有名な碓氷第三橋梁がある。6号トンネルが546メートルと一番長いので、碓氷第三橋梁が先に進むか引き返すかの分岐点となるだろう。

余裕があれば先に進んで熊ノ平駅まで行けばいいし、ちょっと体力に自信がない場合は引き返して、場合によっては峠の湯でひとっ風呂浴びてから、気持ちよくなって帰るというのもいいだろう。

トンネル内はちゃんと照明が7時から17時まで点灯していて、しかもその照明がかなり数が設置されているので、普通に田舎にある現役の隧道のほうが暗いぐらいだ。

5号トンネルを抜けると目の前に橋が見えてくる。めがね橋こと碓氷第三橋梁だ。橋の上からだと煉瓦造りを実感できないけど、下のほうに降りていく階段がある。年を取ると階段を見ると下りでも、あとで上ってくることを考えて躊躇してしまうことがあるが、今回は頑張って降りていくことにする。

旧国道18号の看板がある階段を降りていくと、煉瓦造りの橋を実感することができる。国道のほうから眺めると、アーチ型の橋梁の全貌が見えてくる。正直な感想、めがねという印象はなかった。

明治26年(1893年)にできたこの橋はイギリス人のパゥネル技師と日本人の古川晴一技師によって設計された。アプト式の鉄道のあいだ活躍し、粘着式になってからは廃止となっている。

碓氷第三橋梁を見学したあと、6号トンネルに入っていく。この辺のトンネルからときおり横穴が出てくる。蒸気機関車が通っていた電化前の時代の排煙口と思われる穴だ。このあたりからちょっと疲れが出始める。一応、碓氷第三橋梁のところにあるベンチで休憩をしてから出発しているが、ちょっとつらくなってくる。

めげずに進んでいってようやく熊ノ平駅に到着した。駅の手前には山崩の被害者のための慰霊碑と熊ノ平神社がある。さらに目の前には熊ノ平変電所があり、こちらも重要文化財に指定されている建造物だけど、なんだか放置されている風の建物だ。

駅構内は線路内は歩くことができないけど、その脇に通路があって駅施設を見て回ることができる。

この駅は最初は熊ノ平信号場として設置されて、その後に駅に昇格したが、再び信号場に降格して、国鉄民営化後は北陸新幹線の高崎、長野間の開通に伴い横川、軽井沢間の配線と共に廃止となった。

帰り道は少し急ぎ足気味に歩いた。途中、碓氷湖へ続く道もあったけど、坂道があったので躊躇してしまった。途中、靴に入った砂を出すためにベンチに座ったときに足が攣る。少し休憩して再び歩き出し、なんとか横川駅まで到着。次の電車の発車まで少しだけ余裕があったので、駅の横の荻野屋の売店で峠の釜めしタイムとした。

横川駅からは普通に行きと同じように信越本線で高崎まで、高崎からは上越新幹線ときで東京に向かう。歩きまくったせいか、新幹線で乗ったグリーン席のレッグレストが最高に快適だった。レッグレストはこれまでも足を乗せたことがあるけど、そんなにいいとは思っていなかった。でも、今回歩きまくった状態で足を乗せて、ふくらはぎの部分が急速に緩んでいくのを感じて、人生で初めてレッグレストのよさを実感することができた。

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